うつ病になりました

1年以上も記事書いてなかったんですけどなぜかというと仕事でうつ病になりしばらく療養していました。

業務上の問題

 私は人口10万人強の規模の自治体で働いている所謂地方公務員なのですが、2年前に問題の部署に異動となり、そこで継続するのも廃止するのも行き着く先は地獄しかないというようなボロボロのIT振興事業を私一人に任されました(これ以外にも3つ程の事業を割り当てられていましたが、直接の原因はこれ)。課長も上司も「俺はITのことわかんないからundoくんに任せるよ!君のやりたいように自由にやってくれ!」と具体的なゴールも示されず丸投げされ、そのくせ何かやろうとすると役所特有の詰めと指摘にあい、更にICT推進派の市長と対立する議員から過年度の成果について執拗な質問や同じ資料の開示請求をされ、何も身動きが取れなくなり誰かにヘルプを出すこともできずという状態でした。
 この部署の前には経済産業省のIT担当部門に出向していたこともあってこの部署に配属になったのでしょうが、それにしてもこんな酷いところに置かれるとは思いませんでした。経産省の方が業務量も残業も何倍も多かったのに何十倍も充実していたくらいです。

福利厚生の問題

 そういうわけで精神ズタボロになりながらもなんとか過去の事業をそのままコピーして実施することで(役所なので過去実施したことをまた継続してやる場合にはあまり文句を言われません)1年は持ちこたえて2年目に入りました。この頃にはほとんど眠れない日々だったので毎晩のようにビールを2リットルくらい飲んで無理やり意識をぼやかして眠っていたような状態が続いていました。
 それも秋ごろに限界を迎え、10月頭、人事に助けを求め臨床心理士との面会を依頼しました。予約は1週間ほど先でないと取れないそうです(という返事が依頼してから5日後くらいにやっと返ってきました)。この大きな組織でそんな福利厚生の体制ってありえねぇだろと思いつつひとまず日程を押さえようとしましたが、面会できる候補日は限定的であったため業務日程や出張予定ともかぶってしまいキャンセルせざるを得ずなかなか面談が実施できないまま1ヶ月が過ぎ、そして11月に潰れました。

発症してどうなったか

 具体的にどの時点からうつ病を発症したと言えるのかわかりませんが、まず配属1年目は徐々に睡眠の質が下がり体力が減っていくような感じでした。もともと酒は好きな方で週に1、2日飲むくらいだったのが3、4日と増えていき、2年目には前述のとおりほぼ毎晩飲んで眠っていました。これにより胃腸が死に食欲がなくなってきて、しかし体重はどんどん増えていきました。
 11月に倒れた時の状況としてはベッドから起き上がることができず眠ることもできず、かろうじて職場に休みの連絡を入れた後はその罪悪感に苛まれて3日ほどずっとベッドの中で横になっていました。2日目に上司が家まで来たような記憶がうすぼんやりとありますがどう対応したのかあまり覚えていません。またその日に人事から「明日カウンセラーと面談できるが、どうか」というメールが来ましたが一体どういう神経してるんでしょうか。翌日予約ができるんなら最初からそうして欲しかったし、実際に倒れるまで何もしてくれないようなら意味ないのでカウンセラーの委託ムダだからやめろって言いたいです。もうこの組織の人事には何も期待するまいと思いました。
 その後、数時間ずつ眠れるようになってきたのでトイレや風呂などのために少し起きて眠るを繰り返し、2週間ほどすると外に出て買い物等くらいならできるようになってきました。またこの頃にやっと予約が取れた心療内科を受診し睡眠薬を処方され、最初に薬を飲んだ日は18時間近く眠りました。

治療中

 診断書が出たことで晴れて病気休暇となり、人事と3度ほどの面談を経て12月中に一度復帰する方向で調整が進みました。なお所属課長とも1度面談しましたがその際に「undoくんが激務に耐えられなかったことは仕方がなかったね」ということにされて話をされたことはずっと忘れないと思いました。「残された仕事は他職員に割り振って問題なく回っているし、ちょっと風邪ひいて休んだあとに復帰するくらいの気持ちで気軽に戻ってきてほしい」という言い草もムカつきました。私が休んでいる間どのように言われていたであろうか容易に想像できます(私の前任も同じようにこのIT振興事業担当で精神を病んで半年以上休んだそうですが、この部署ではその人をバカにする会話がよくされており、その会話をされる度に後任である私はどう反応すればいいかわからずヘラヘラ笑っていました)。
 そして12月中旬、そろそろ一回職場に戻りましょうかというタイミングで、実家の両親が人事課に直接乗り込むというクソムーブをかましました。30を越えたオッサンがうつ病になった上に親が出張ってくるなどとても恥ずかしくてもう生きてられません。この時本気で自殺を考えました。順調に回復していた容態もこれにより再度悪化し、最初の頃の状態に戻ってしまいました。この親には順調に回復しており12月中に復帰する予定であることは伝えていたにも関わらず、人事課へアポ無しに「息子の容態はどうなのか」と身分証も示さず問い詰めようとしたそうです。前々から自分勝手な行動ばかりしては「お前のためを思って、親心で」と絶対に謝ることをしない親でこちらは本当に恥ずかしい思いをしてきましたが、二度と今回のような勝手な行動をするなとマジギレのメールを送り、それ以後最低限の連絡しか取っていません。もう一生許すことは無いだろうと思いました。
 そうして復帰は一旦白紙となり、再び半分以上寝ているだけの生活に戻りました。この頃は目につくもの何もかも嫌な気分にさせるものばかりという感じでしたが、ボイチャしながらモンハンで遊ぶことが唯一のアクティビティーでした。どこかの誰かとどうでもいい話をしながら遊ぶというのは本当に心が救われました。趣味の一つや二つは持っておくべきですね。あとTwitterで「うつ病になった上司が云々」みたいな漫画を積極的に探していた記憶があります。

復帰へ

 再び療養を続け、2月から復帰しました。2月の間は少しずつ慣らしていくために午前中だけや午後3時までの時短勤務でしたが、この頃の惨めさと言ったらなかったです。以前担当していた仕事は他職員に割り振られていたため私がやることは何もなく、メールチェックと雑用・庶務作業を割り振られました。それらの作業も今まで一度もやったことのないものだったので何もわからず遅いのなんの、結局もともと庶務担当していた職員に聞きながら何倍も時間をかけて進めていました。更に惨めだったのが、私が以前担当していた業務の電話やメールが飛んできた時に私がそのまま対応すると「undoくん!これは私がやっておくから大丈夫だから!」と止められたことです。この所属ではもう価値無しと見られてんだなと、どこか達観したような気持ちになったのをよく覚えています。
 そして役立たずとして2ヶ月間を過ごし3月の末、異動の季節となりました。異動希望調査には「うつ病になったので業務量少ない所属を希望」と書いておいたのが認められ、無事に「新卒1年目をひとまず置いておく文書処理メインの部署」に異動となりました。(追記)4月現在、業務量は少なく残業もほとんど発生せず仕事の目的と内容が明確でタスクを見積もりやすくスケジュールが組みやすく、(窓口なので気軽には休めませんが)だいぶ精神的には楽になりました。でも今でも色んなきっかけで記憶がフラッシュバックして頭や体が数分ほど働かなくなることがあります。「うつ病は一度かかると治らない、うつ病を隠して社会的に生活することができるレベルに回復するだけ」というのを誰かが言っていましたが本当にその通りだと思います。もうITの仕事は出来ないだろうしやらせてももらえないでしょう。公務員で幸いでした。これで完全にキャリア設計は御破算となり出世昇格も望み薄になったので、役立たずとして楽な仕事だけやらせてもらってダラダラ生きていこうと思います。